かとじゅんの技術日誌

技術の話をするところ

パソコン歴を振り返る

徹夜明けのどうでもいい雑記です。
個人持ちPCの遍歴について書きます。

初めての出会い

初めての出会いは、小学4年にFM-New7。友達の家にあったPCを触ったのがきっかけ。たしか数日間借りて、お絵かきソフトをF-BASICを使ってプログラミングした記憶がある。スクラッチから書けるわけもなく、雑誌のコードを見ながらコーディング。
後はやっぱりゲームやってたね。媒体はテープ。どうやったらこんなすごいゲームが作れるんだろうとか、想像してとても楽しかった。

1982年、後継機の FM-7 が発売された。 重装備だった FM-8 から、あまり重要でない機能を外し、 価格を12万6千円まで下げた。ライバルの PC-8001 より4万円も安いということもあって、FM-7 は大ベス トセラーとなった。この特集で取り上げるのは、FM-7 のマイナーチェンジ版の FM-NEW7 である。

高校時代

その後は、ブランクがものすごく開いて、高校時代に友達がPC-8801FA/MAとかPC-88VAにハマっていた。イースとか、ハイドライドソーサリアン、大戦略とか、はまってたねー。
PC-88VA
そして、友達がハマっていたゲームがこれだ。森羅万象。まぁ、スペースハリアのパクリといえばわかりやすいかもしれない。
神羅万象
結局、ゲームですね。
プログラミングは、N88-BASICを嗜む程度。
ほかにやっていたことといえば、PC-VANとかニフティサーブですね。主にフォーラムとか巡回したり、チャットをやったりと、この頃からネットワークって便利だなーと思い始めた。電話代が破裂して親の逆鱗に触れましたが。。
PC-VAN - Wikipedia
ニフティサーブ - Wikipedia
結局、これが自分にとってどういう意味を成すか試してみないとわからない。そういう癖がこの頃に付いた気がする。

社会人になって

某大手電機メーカに就職。オフィスにはこんな感じの赤い画面のJ-3100シリーズが並んでいました。違和感あったのですが、慣れるものですね。このころから、MS-DOSとかMS-DOS/Vの時代に突入。ワープロと表計算は一太郎とロータス123でした。仕事ではC言語を覚え始める。うーん、ポインターわかんねー。本屋ではポインター関連の書籍を買い漁っては勉強する。他人が書くコードが読めなくて悩む日々。19歳ぐらいのころでした。
J-3100 SGT
そしてそしてMacIIいいよとか口走るMac好きな課長がやってくる。GUIがかっこ良すぎる。マウスなんでボタン1個なのよ。
MacII
また、ゲームだが、SimCityにはビビりましたねー。その影響で、MacのClassicを会社から借りて、HyperCardでプログラミング。データベースを使ったアプリを書いていた記憶がある。
Mac Classic
HyperCard
仕事ではポインターを制覇してC言語がようやく板についてきたころにノートPCを購入。DynaBookですよ。初めてのハードディスク。20Gだったかなー。C言語以外にアセンブリ言語もいじり始める。ハードウェア割り込み重要だと知る。
DynaBookSS 02E
そして2台目のDynaBook*1DOS/V+Windows3.1マシンでCONFIG.SYSとかAUTOEXEC.BATとかと苦戦する。MS-C++を独学で挑戦するが、C++の言語機能の多さと、オブジェクト指向の概念を把握しきれずに、砕け散り挫折。
DynaBook 486SX
そして3台目は、BREZZAというデスクトップマシン。
BREZZA 5133DA
そして、T社を辞めるw

SIerの時代

96年ぐらいから、SIerに転職してからはどっぷりと自作マシンに凝る。自宅から大阪 日本橋が近いというせいもあって、休日は物欲炸裂w デスクトップは自作マシン以外は使わない主義になった。自宅に帰ったら、自作マシンでひたすらコーディングしてたなー。
仕事ではC++でひとりデスマw オブジェクト指向をなんとなくわかった気になり、RPCとかマルチスレッドにどっぷりはまりまくり。
VC++のドキュメントビューアーキテクチャが嫌いだし、VisiualBasicも言語仕様と性能がよくなかったので、Borland Delphiに飛びつく。Object Pascalのコンパイル速度が驚くほど早かった。本格的なオブジェクト指向言語だし、マルチスレッドも書けるし面白かった。
この頃からOSについては、Windows以外にLinuxも触り始める。Slackwareのインストールに泣かされまくり。手当たり次第ディストリビューションをインストール。はっきりいって爆死。そして、RedHatは糞で、Kondora MNU/Linuxはすごいという結論に至る。
デスクトップはSCSIマシンしか作らないなどとこだわっていたので、自作でほぼ完成形になっていたので、外出先で使えるPCが欲しくて金もないのにノートPCを買うことに。その当時からSONYファンだったのでVAIO 505を選ぶことに。VAIOといえば505です。これは名機でした。これを持って、社内の同期のメンバーとよくC++の勉強会とかやったなー。
PCG-505
その後、VAIO C1。そしてこのあたりでLinuxベースのレンタルサーバを経験。TCP/IPとかEthernetとか頭が変になりそうだったが、人間諦めなければ何でも身につくんだと実感。都合あって、大阪はなれて沖縄に。仕事はDebian上でPHPでウェブしシステム開発とかやりだす。この当時はMVCとか考えずに、ほんと頭悪かったですw そして、Javaもかじり出す。1.3だったかな。サンプルを動かして超おっせーな。使いもんなんねーべという感想を持つ。
PCG-C1
その次はVAIO SRX3。これも名機でしたが、ヒンジが弱くて大変でした。ディスプレイを起こしていても徐々に後ろに倒れていくというw 欠陥らしい。
仕事では某ゲーム機メーカーさんでお手伝い。C++ではなく、C言語のみでオブジェクト指向プログラミングをやり始める。。まぁ、構造体とか関数ポインタとかいろいろ頑張るワケでしんどいのですが、、、C++コンパイラの大変、偉大さが分かりました。そして、デザパタのお勉強と実践。
SRX3
2004年ぐらいからISPの裏側の裏側で使うような技術を仕事にする。L2/L3レベルで理解できていないとまずお話にならない仕事だ。そして、プログラミングはC/C++/Javaを使い分ける。Struts/JSPをやり始める。そして、仕事でDebian GNU/Linuxを使っていたので、それ以外のディストリビューションが使いにくくてしょうがない。インストールは最初の1回だけで後はapt-get dist-upgradeでOSのメジャーバージョンをあげれるのが運用面から考えても好ましく楽だった。その後、Seasar2にどっぷりと漬かり始める。Teeda/S2Daoマンセー。Seasar系のプロダクトで固めた案件ばかりやる傾向に。自分でもSeasarコミッタになりプロダクトを作る。
そして、ノートPCは2005年ぐらいからVAIO type Tと type Fを使う。またこれも名機だった。
VGN-TX90PS
VGN-FS70B

再びMacユーザになる

長らくこのノートを使っていたが、老朽化&息子が見事に液晶を踏んづけてくれたので、昨年MacBookに移行。再び、Macユーザとなった。IntelアーキテクチャになったMacは魅力的だった。WindowsはVMware FusionMacOSX上の1アプリケーションとして使うことができる。仕事ではGNUなどのオープン系のツールを使うことが多い。だからUNIX環境が外せない。MacでもOfficeはある。そうなるとWindowsのノートでなくてもよいという話になってきた。移行して正解だった。
しかし、そのMacBookだが、不運なことに、計5回の故障(メモリ不具合、マザーボード交換、液晶/キーボード交換、ハードディスク交換、液晶チラツキ)に呪われて、トラブルが続いた。5回目のトラブルで、さすがのジーニアスも参ったようで、無償で新型MacBook Proに交換となりました。気がつくと身の回りにMS製品が減って、Apple製品が増えてきた。携帯電話はもちろんiPhone 3Gだ。Androidもいいなーと思ったが、ここまでAppleに浸食された生活を送っているとObjective-Cはキモい言語だが、我慢して使うかという気持ちになってくる。

そして、iPad。買うかも?

Apple、噂のタブレット「iPad」発表
〜9.7型液晶、iPhone互換、499ドルから

ついにリリースされましたね。従来のタブレットという製品概念を覆すような存在になるかどうか、これからに期待。MacBookは毎日持ち歩くのがきついので、もう少し軽いITデバイスがほしい、個人的には狙い目かなーと思う。価格も以外によいところを狙っている気がする。まぁ、日本発売はまだ先なんでしょうが。電子書籍のキラーデバイスとなるのであれば、鞄も軽くなっていいよなーと思ったりする。

*1:自社製品は無金利で分割で変えるから買うわけですよ