読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かとじゅんの技術日誌

技術の話をするところ

知識は蓄積しても役に立たない時代

興味深いエントリを見つけた。

つまり、これはインプットじゃあなかったわけだ。だってアウトプット口がないんだから。

となると自分がやってきたことは何だったのか? 

少なくとも現時点では、ただの消費になっているのは間違いない。

みなさん、少なからず経験あるのではないかな。私は共感した。
ITプログラマを夢見て歩き出したときから、これはつきまとう問題。アウトプットするにもまずはインプットと考えてしまうのは仕方ないことだと思う。知識を集めないよりは集めたほうがいい。

何をするにも知識が必要だが、その知識はものすごい勢いで陳腐化していることに気づかないといけない。
インターネットが登場する以前は、知識を得て保持しているだけで価値があった。それはなぜか。その当時はナローバンドであったり、検索エンジンもそれほど膨大なネット上の情報をインデックス化できていなかった。つまり、情報にアクセスする手段が発達していなかったからだ。ゆえに、知識を得るが容易ではないため、特定の情報を得ている人もしくは、特定の情報にアクセスできる人に、価値が集まる。


インターネットが普及した今では、どうだろう。ブロードバンドが普及期になってほぼ経済的なハードルもなくなった。パソコンや携帯で情報には誰でもアクセスできる。Googleに代表される検索エンジンも、ネット上のコンテンツをクローリングすることによってインデックス化が進み、誰でも目的の情報にあまり苦労することなく到達できるようになった。一方で、情報を集めても、次々に新しい情報が生まれ陳腐化していく。そして、「情報通」という言葉は、インターネットが登場してからは死語になったといえる。いい意味でも悪い意味でも情報へのアクセス権は民主化された。


私も毎日インターネットを使って情報を収集して はてブ しているが、それぐらいはもう誰でも容易にできることなのであまり価値的ではないと思っている。なんなら、自分と同じ関心を持っている はてブユーザ をお気に入り登録して通知を受けるのがいいw 結局のところ、知識は持っていても応用しなければ役に立たない。知識力がそのまま価値にならない時代といってよい。

同様のことは、前のエントリにも書いた。知識を得て”だから何?”という思考プロセスで「自分なりの結論」をそれに付加していかなければ、価値が生まれない。インターネットの受け売りにならないように自分なりの考えを付加するのだ。

インターネットで様々な情報が手に入る時代にあっては、なぜそうなのかの結論への経緯を無視して情報を得ることができる。

このエントリに言及があるとおり、自分で考える前にググっていると、思考プロセスを伴わないので自分で考え抜くことができなくなってしまうのだ。思考の筋肉を衰えてしまうのだ。

Life is beautiful: 自分で考える前にググっていませんか?

勘違いしてほしくないが、検索エンジンで検索することは悪いことではない。たくさんの知識を得ることができる現代人にとっては必須のツールだ。ただ、知識を得ているだけでは考える力はつかない。つまり、仮説思考は身につかないということになる。検索だけしていても、本当の意味で「要領がいい」人にならない。

ともあれ、従来からの知識を蓄積する「知識力」はもちろん必要だが、これからは得た知識に「自分なりの結論」を付加する「思考力」が、ますます必要になってくるだろうと思う。「考える力」が問われる時代だ。ビジネスのシーンでは特に。
こういうご時世でもあるので、価値の低いところには投資しないので、「考えるのが苦手で」と行動しない人は生き残れないと思う。だから、「考えるのが苦手」だから何?といって、アクションが出てくるまで考えよう。