かとじゅんの技術日誌

技術の話をするところ

そろそろ「何やらせても要領いいよね〜」について一言いっておくか

若いころから「何やらせても要領いいよね〜」とか、「そつなくこなすよね」といわれる。社交辞令も含まれている言葉だが、よく言われる…。逆に業界経験が長いのに「何やっても要領悪い」じゃ格好付かないので、「それぐらいやって当然」的なスタンスだw
この言葉は、私だけに限ったわけではなく、「仕事ができる人」や「仕事が早い人」に対して贈られるほめ言葉であるが、さて「要領がいい」とはどういう意味だろうか。あまりに日常的に使われすぎていて、使っている人たちも本当に意味をわかっているか微妙なところだ。
気軽に使っている「要領がいい」という言葉について今一度に考えてみたほうがいい。「要領いい人」と「要領の悪い人」の差ってなんだろうかと一考すべきだ。


そろそろ「何やらせても要領いいよね〜」について一言いっておくか。


うちの会社にも、「要領のいい」人は在籍している。外部の会社にもいらっしゃるだろう。難題に対して(もちろん、難題でなくても)、限られた時間内できちんとした理由付けのあるアウトプットを出す人というイメージがある。そう、自分もいつもそう考えて行動している。

自分がいつも意識していることは以下だ。

  • 行動につながる結論を何が何でも出す
  • 結論にたどり着いた経緯を把握する
  • 「ベスト」より「ベター」を求める

「要領のいい」人と話すとだいたいこのような話をしていて共通項も多い。

行動につながる結論を何が何でも出す

現場でも、

「仕様がお客さんから出てこないから実装が進まない…このままじゃ間に合いそうにない…」

というシーンは悲しいけど日常的だ。
自分としては、そういう話を聞くと

「え?だから何? あなたの仕事は評論することなの?」

を思うのだ。
結局、そのままでは”思考停止”状態で何も得ることはできないわけだ。
自分の信条は

評論している間に行動に移せ

だ。たとえば、「仕様決めのミーティングを設定する」「仕様書を提示してもらう」などいろいろ考えれば出てくる。”だから何?”と考えて結論を出し、アクションを起こすのだ。考えてもアクションまで結び付かない場合は、さらに”だから何?”を繰り返すことだ。最終的にアクションが出てくるまで繰り返すのだ。

勉強についても同じだろう。技術者としてスキルアップのために勉強したいという目標を持っていて、仕事に忙殺されたら。。「勉強したいけど仕事が忙しくて…」これはアクションに結び付いた結論といえるのか? こういう人は一年後も同じことを言っている可能性が高い。アクションに結び付いていないから、何も変わらないのは当然なのだ。そんな甘っちょろい考えでは、スキルアップもできない。
じゃあ、どうすべきか。アクションが出てくるまで ”だから何?”と考えることだ。

「仕事が忙しい」だから何?→「いや、時間がないんです」だから何?→「勉強するには時間を作らないとだめです」だから何?→「じゃ、時間を作ります」だから何?→「明日から移動時間で勉強します」

この例は相当無理やりだが、たとえばこんな感じだ。最後にアクションがでてくるまで考えることを止めてはいけないのだ*1。そして最後はそのアクションを実行するだけだ。

実はこの考え方を”仮説思考”という。数年前から心がけるようにしている。
この本がわかりやすい。

問題解決プロフェッショナル「思考と技術」

問題解決プロフェッショナル「思考と技術」


引用させていただくと、

<仮説思考>とは、限られた時間、限られた情報しかなくとも、必ずその時点での結論を持ち、実行に移すことである。

時間をかけて緻密な分析によって精度を高めようとするよりも、ざっくりでもいいから短時間であるレベルの結論を出し、アクションに結びつけることが重要なのだ。

まさに「要領のいい人」のイメージにぴったりではないかw
つまるところ、「行動(アクション)に結びつける結論」を出すことだ。「要領がいい人」はこういう思考を持っていると思うのだ。いくら評論したところで、1つの具体的に実行できるアクションにはかなわない。

結論にたどり着いた経緯を把握する

アクションが出てくるまで考えるという行為では、「なぜその考えに至ったか」の経緯を把握することができる。そうすれば、実行した後にもし結果が違っていても、背後の理由やメカニズムがわかっているから、軌道修正が容易なのだ。

話は横道に逸れるが、英語はまさに仮説思考と同じ思考法に基づいている。

I like the macbook air, because it is lightweight and thin.

英語圏だと幼少の頃からこうだが、日本語はそうなっていない。逆の傾向強い。つまり結論が最後。結論が最後だと、結論にたどり着くまでに迷走しがちだ。
つまり、結果自体より、なぜその考えに至ったかの「思考のプロセス」が大事だと言える。仮にMacBook Airが買えない場合でもlightweight and thinなノートPCを考えることができる。

話を元に戻すが、インターネットで様々な情報が手に入る時代にあっては、なぜそうなのかの結論への経緯を無視して情報を得ることができる。
このエントリに言及があるとおり、自分で考える前にググっていると、思考プロセスを伴わないので自分で考え抜くことができなくなってしまうのだ。思考の筋肉を衰えてしまうのだ。
Life is beautiful: 自分で考える前にググっていませんか?
勘違いしてほしくないが、検索エンジンで検索することは悪いことではない。たくさんの知識を得ることができる現代人にとっては必須のツールだ。ただ、知識を得ているだけでは考える力はつかない。つまり、仮説思考は身につかないということになる。検索だけしていても、本当の意味で「要領がいい」人にならない。

鍛えるならフェルミ推定

では、どうやって仮説思考力を鍛えればよいか。そういう時はフェルミ推定をやってみよう。

フェルミ推定(-すいてい、Fermi estimate)とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること。

問題としてはこのようなもの。

フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人(なんにん)のピアノの調律師がいるか?」を推定するものである。これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている

インターネットや資料などは使わず、限られた時間内で答えを求める問題だ。フェルミ推定では、答えの正しさではなく、答えを求めるプロセスを重要視している。まさに考える力がつく問題だ。検索エンジンに頼り切った脳ではとても答えは出せない。

「ベスト」より「ベター」を求める

翻って、闇雲に考えて行動してもよい結果は出ないと考えるかもしれない。かといって、ベストな答えを求めることは様々なリスクがある。

  • ベストを追求してもそれがビジネスの現場では必ずしも正解とは限らない。正解が複数ある場合だってある。
  • ベストな策は、追求するのに時間がかかるし、難易度が高い。

ベストは非常にリスクが高いといってよい。完璧主義ではいけないのだ。スピードが求められるビジネスの現場では、まさに「ベスト」より「ベター」な思考が求められる。
この書籍曰く

ベストは難しくても、何かしらベターな解決策は必ずあるものだ。さらにだれでも「ベターな解決策」であれば考えられるはずだ。ベターな解決策を見つけたらすぐに実行すればよいのである。

だ。
これは、アクションを早く実行することで、早くフィードバックを得て、それによって早くナレッジを蓄積する。蓄積されたナレッジによって軌道修正を繰り返し、どんどん目的とするゴールに進んでいくという考え方だ。これは現実的であり、理にかなっている。軌道修正が繰り返し行われるため、小さな失敗は逆にリスクヘッジのためのナレッジへと変わるのだ。「策士策に溺れる」にならないようにしていくことが大事だ。
頭の回転が速い人はこのフレーズでわかったはずだ。これはまさにアジャイルではないかと。アジャイルも仮説思考に基づいた開発方法論といえる。じっくり「ベスト」を考えるよりか、「ベター」を実行することでより多くのフィードバックを得ることができる。そして、結果的に「ベスト」が「ベター」を勝るという事例も多いのだ。
頭のよい人やまじめな人は「ベスト」を求めすぎて、アウトプットが得られない人が多いように思う。人間の脳は非常に高度な情報処理能力を持つが故にこういう事態を生み出すといってもよい。でも、そんな人も大丈夫。今日から仮説思考を実践すればよいのだ。


つまり、「要領がいい」というのは、”仮説思考ができる”という意味なのだ。
また、天性の力で「要領がいい」人も、まじめで頭のいい「要領が悪い」人も、仮説思考は意識するとよいと思う。

*1:実際はもっと具体的な勉強のアクションが出てくるまで繰り返さないといけない